電車で足を組む人の精神構造がわからない

電車で足を組む人の精神構造がわからない
このことは、うちのお客様にも聞くのですが
うちのお客様にはそのような人がいないのです。
彼がそうかと聞いてもほとんど違う。

だから推測でしかないのですが
周りの人のことを考えることができない。
これしか理由がないのです。
もしかしたら、体が悪くて
バランスとるために
足を組むと楽になるから、というのもあるかもしれない。

あとは
同じような人で
劇場のひじ掛けや飛行機、電車のひじ掛けを一人で使う人も
いますよね。
これは圧倒的に使えれば楽です。ですから自己中。

上の二つのタイプは相手にしてはいけない。

しかし、なぜそのような思考が生まれるのか?
これは私の研究テーマでして、いまだにわからない。
一番わかりやすいのは
実際足を組んでいる人や
公共の場で席のひじ掛けを占有している人に声をかけてヒアリングして
考え方のバックグラウンドを知るのが良いのです。
でもできないのですよ、そんなことは。

話は変わりますが
「挨拶」もそうです。すれ違いざま、微妙な空気になるときに
簡単に自分のテリトリーに入ってこないようにテリトリーを守るために
挨拶があると考えてもいいと思います。「挨拶」することで
微妙にかわすことができる。問題なくすれ違うことができますでしょう?
だまったままぶつかったりすると大変なことになります。

しかしこのような人が多くなったというわけではありません。
昔からいます。