ウェストサイドストーリーとクランコの「ロミジュリ」の振り付け

ウェストサイドストーリーとクランコの「ロミジュリ」の振り付け
映画は1961年。クランコの振り付けは1962年。
ちょうど同時期です。
これは
昨日観ていて、「ウェストサイドストーリー」の話の流れに似ているなあと感じたので
帰ってから、映画の製作年度を調べようと思ったのです。
実際観ているときは1962年かその前後とは思っていたのですが、
やはり一致しましたね。
家と国家
司祭と警察(軍隊)の対比みたいなものを常に感じました。
またカーニバルのシーンにしたのも、戦いの前(悲劇の前)の町の無関心さや
人間は楽しいものという表現のようで
ウェストサイドストーリーの「アメリカ」や「(シャーク団?だったっけ)クランプキー(?)警部への茶化した歌」
などで表現されております。どちらも楽しむ存在として人間を描いている。
しかし、こと、家の問題や国家の問題では対立してしまう。
ちょうど冷戦がはじまっておりますからね。まさにキューバ危機は1962年。(1958年前後から1962年をピークに代理戦争)
何か感じるだろうなとは思います。
それでこのクランコの振り付けが
意外とあっさりしているので
のちのマクミランたちに影響を与えたのだろうと思いました。
しかしマクミランも1965年なんですねえ。

これらすべて、帰って調べてみようと思わせてくれた、昨日のバレエの公演です。
そのくらい、何か危機迫るものを感じた。
ですから第2幕のカーニバルのシーンは、はじけなければならなかったのかもしれない。
カーニバルのシーンに皮肉られるように
「家」の存在の大きさを重要視する人間の悲劇。きれいな対比でした。
その最終結果は
ジュリエットの死。それも2回。一度目は葬式という形でうまく描いていると思う。このあたりの表現はバレエの枠組みでは難しところでしょう。
しかしあえて描いた。
困難を乗り越えようとするために、あえてチャレンジしたその気持ち。
今新しい
振付は必要なのか?時はマクミラン版でさえ50年たっている。
いや、状況は変わっていないんですよね。

以上
すごく重要なところを
短時間で殴り書きをしたのでわかりにくいところがあったと思いますが
今度改めて、「ロミオとジュリエット」について考えたいと思います。