ノイマイヤーの「椿姫」

ノイマイヤーの「椿姫」
冒頭の「マノン・レスコー」のバレエが
演じられているということがすごく気になりました。
マノンも「椿姫」のマルグリットも
ともに
「娼婦」。そして
アベ・プレヴォーからすると
マノン・レスコーが一番早い。その昔
マノン・レスコー」というあばずれがいたとさ、
それも新大陸に渡っていろいろとあったという話。
これが余興で踊られている。
もう意味深でしたねえ。
実はオペラと違って「マルグリット」も「マノン・レスコー」と同類なのかも、
という提示にしか見えなかった。
かえって、同僚だったプリュダンスの方が
菅井円加の素晴らしい踊りで素直に改心したかのようだった。
しかし
マノン・レスコーは最後まで出てくる。
デ・グリューははじめだけだが、毎回求愛されている。
ここがポイントなんでしょう。
マノン・レスコーに比較して
マルグリットはアルマン一筋だと。
こうなると「マノン・レスコー」を踊った意味が分かる気がしております。
その整理が
どうも舞台観た後すぐにはできなかった。
これはプリュダンスとの比較でも同じなんでしょう。
マルグリットの素直な気持ちを強調しているのか、と。
ただ、菅井円加があまりにも
可憐に踊るので、そこが判断を迷わせる。
これは単に、彼女の踊り、オーラに騙されているだけなのかもしれない。

あと、音楽ですが
「椿姫」で使われている
音楽が、メモをし切れていないのですが
「マノン」のバレエのシーンで、使われた音楽、
あれ、マスネの音楽ですかね?そうも聞き覚えがあるんですよ。
それもオペラ「マノン」ではないと思うんだが、、、、。
舞台には戻れないからねえ。
ここは不用意に流してしまった。
あまりに観るべきシーンが多くてメモしきれていなかったです。

そして最後、
マノン・レスコー」というより
マクミラン的には「マノン」の「沼地のPDD」のところ
「椿姫」は
対比的に「黒のPDD」で恋人と別れる。

なぜこれまで
対比させるのか、確かに悲劇性、純粋性は増す。

そしてここまでの展開とは別に
ピアノ2台。オケピと舞台上。ピアニストも二人。
これは奏でる音楽に二人の性格も違うんだということを示しているのでしょうが
ここまで細かいと、もっと細部にまで考えが及んでしまう。

そう、どんどん、「愛」の深みに入り込むとともに
2つの「愛」の形を思い出しながら
私、観客は、自分をも投影させて
愛の物語を考える、という構造になっているのかと思う。
この舞台は、マルグリットの愛、のみならず
マノン・レスコーの愛
そして。いま見ているあなたの愛を考えてください、と言っているような気がしてならない。

以上、素直な感想です。