夜会20「リトル・トーキョー」AT 赤坂ACTシアター

夜会20「リトル・トーキョー」AT 赤坂ACTシアター
公式サイトはここ
https://miyuki-yakai.jp/schedule.asp

人間が自然を壊していく。
そして居場所がなくなっていく動物たち。
自然破壊。
人間は開拓したところに
好きなように娯楽施設を作る。
リトルトーキョー
そう、日本人ならば
進出したところに作る日本人街
そこでさも、自分たちの世界だと勘違いして街で暮らす。

自分たちの居場所を追いやられた動物たち。
その中でも至高の存在の狼。
犬は人間に飼いならされたが
狼は、そうではない。
しかし
狼は動物の一種に過ぎない。
人間の愚かな行動に対して意見などしない。
その人間の愚かな行動に鉄杭を下ろすのは
「自然」である。
そう雪崩もしかり。

動物の本能は自然に対して無力であるが無抵抗でもある。だから、自然に従う。
自然も、恣意性のない本能で生きている動物は助かる程度に猛威をふるう。
勘違いした人間は
変に考え違いをして身を破滅させる。傲慢な人間は自分は助かると最後まで信じ
ているのだ

山犬は狼、熊は熊で、ともに野生。そして、野ウサギ。

中島みゆきさんは
前作「橋の下のアルカディア」でも人間の愚かさが根底のテーマにあるような気
がする。
今回もそう。
そろそろ人間よ、気がつけ、と言わんばかりに。

そして、土地の記憶は大自然の世界。
そこに電気や建築、熱源(暖炉)などを持ち込み生活する人間たち。
その流れは地球全体で進行している。
バランスが崩れているのだ。
だから雪崩が起きる。自然が猛威をふるう。

しかし
匠さんの役は中島さん
そのもののでもあるかの如くに思えて仕方ない。
何か自分の境遇も姿を変えて歌わせているような気がする。
そうすると
狼と人間、
男と女入れ替わるという
この「夜会」の真髄があるという感じでもあるのです。それは私の考えすぎなのかもしれない。
しかし
昔の思い出を歌っているような気がしてならないのです。心のどこかにある人を。

さらに、もっと言うならば時代も
平成が終わる中、昭和に対する、ノスタルジックなものが舞台の上で繰り広げられる。


すなわち舞台「リトルトーキョー」は
自分の過去を思い出すところ、
さらに、一昔前を思い出すところ、
そして、そんなことを勝手に思い出してノスタルジーに浸るなよ、人間よ。
自然は怒っている。野生はどんどん声なき声で消えていくのだ。

うーーん。でも、私人間。世界のどこにでも
自分たちの憩いの場所を作って好きにやるのさ、
そして
今宵、赤坂、ACTシアターでみんなと「リトル・トーキョー」を歌うのさ。
という感じでしょうか?
すごく楽しかった。

まだまだ現役感充満していたねえ。

2階の席で怒っていた自分が恥ずかしいくらいに、見やすかった。オケピのバンドメンバーまで見えたしね。

たぶん、明日まで「リトル・トーキョー」って頭の中で歌っているのさ。

ふん、私の勝手だぜ。