桑田さんには何も言えない:活動を完遂した感じ

桑田さんには何も言えない:活動を完遂した感じ
デビューの時、どんな感じで
TBSのザ・ベストテンに出てきたか覚えている人はどれだけいるでしょう?
私の記憶では
「出たがりの目立ちたがり屋です」という風な感じの言葉で
ランニング姿で出てきました。
その時は、ユーミンと格差がすごくついていた。
そして「勝手にシンドバット」が出ても
街のボーリング場で、松田さんは「おれ。サザンの松田」気が付いてよ
オーラが出ていたのを覚えております。(今思うと
ボーリングはみんなでやっていたんですね、今年のボーリング大会につながるんですね)

さらに、年が過ぎて
結婚(これは、当時のファンクラブ(応援団)は抽選で招待された)あと
子供が出来たときは、「主夫です」と活動を休止しているときは
たまに今でいう、ワイドショーに出ていたのです。

当時のコンサートは、
謡曲というよりも
ビートルズなど英国ロックの影響の元、そのほうの曲をよくコンサートで歌っておりました。
これはAAAでこれメインの年もありましたよね。
しかし、ザ・バンドなどの影響もあり、それもAAAでテーマになっていた時があったと思います。

私たちは初期のころのサザンはよく話題にしたものの、
以前も話した通り、
「ミスブランニューデイ」でまた戻ってきた印象が強い。

そして主夫を経て、「みんなのうた
らしい。私はこの辺から少し離れておりました。

そしてライブの完成。さらにファンの中で歌での振りの完成と徹底化。こうしてライブは良くなってきました。

それまで普通の歌だったのが
低音の強調と、リズムを前面に出し、ドラムスとベース、ギターの音を強くして、ブラスの導入などで
ライブバンドとして完成されてきました。西武球場では4時間くらいのライブでした。それも雨の中。
そういえばサザンと言えば「雨」のコンサートです。
そのくらい重要な節目では雨が多かった。

ここまでの過程で
ユーミンとクリスマス番組とか、
オールトゲザーナウ、
KUWATA BAND
などを経て、
ジュリーと堂々とやり渡るようになったのには驚きを感じました。個人的には
ジュリーに対して敬意を持ってほしいと思ったのだが、堂々と一緒に歌っている姿には驚いた。
たぶん映像を探せばあると思います。

そして、
様々なコンサートを経て「国民的バンド」と
一時休止の時に使われるようになった。実は意味不明の言葉なんですが、
その敬称のまま「真夏の大感謝祭」となったのです。
そして
AAAで「ひとり紅白」
ここで
ルーツの歌謡曲に戻ります。桑田さんは歌謡曲のロック化でしたから。
その「ひとり紅白」も昨年で終了。

そしてそのあと、まさか紅白で独り舞台が待っているとは思わなかった。
まさに35年前もやろうとしていた、場の雰囲気を変えるということが
堂々と許されて、「特別枠」で敬意をもって迎えられ、
北島三郎さんやユーミンまでも巻き込んで
紅白を乗っ取った形で昇華しました。
簡単に書きましたが
ずっと昨年までの伏線は人生の中で踏んでいて、それを完成した形です。

東京オリンピックを担当する、野村萬斎師や音楽関係の椎名林檎さんにはあの景色が
どのように映ったのかわかりません。
ただ、桑田さんは自己のキャリアの中で
やりたいことをやり遂げた、と言う感じがします。それも35年前否定された
NHKの完全バックアップの元。
さすがとしか言えない。
最初の言葉
「出たがりの目立ちたがり屋」です。紅白の内容そのものです。

これからも頑張って新しい地平を切り開いてほしい。
そしてわが地元の原由子さんもうまくサポートしてあげてほしいと思います。
本当に地元ですからね。