映画「ヒューマン・ハンター」(humanity bureauという方があっている)

映画「ヒューマン・ハンター」(humanity bureauという方があっている)
公式サイトはここ
http://human-hunter.com/
まあ、B級の拾いものという感じの映画です。
近未来が乾いた感じの世界という設定が
少し雰囲気的に「サルート・オブ・ザ・ジャガー」に似ている。
しかし、時代はもっと近く。
原発も放置され、国境という定義だけが残る変な世界。
途中トランプ大統領の写真が出てくるけど、もしかして
これは彼の政策へのアンチテーゼなのではないかな?と勘ぐってしまう。

アメリカもかなり保守的になって
生活保護という概念がなく、そのような人間は
エデンに向かわされるという時代。
エデンでは実際に人間が犯した犯罪と同じことがそこで繰り返される。
送り込むほうは「納税できないものは送り込む」みたいな論理。
まあ正論ですね。
そんな時代の中、自活できるかの調査官みたいなのが
急にある親子に情を持ってしまう、という感じの展開からスタートです。
背景は砂漠がメイン。しかも建物も古い。西部劇みたいな感じさえするし
展開も少し西部劇です。
まあはっきりというと西部劇を見ている感覚でよいのです。
途中、ガスステーションでは、情にほだされた男の援助が入ったりしながらも逃げていく。
建物が古いけど、システムは出来上がっている。いわゆる持てるものと
持てないものとの差が開いた世界です。もうそこには今のハイテク企業という概念もないのかもしれない。
彼らが持てる側として支配層になったかというと、映画を観ているとそうは感じないところもある

以前書いたが、今のアメリカの時価総額
AppleGoogle3Amazon4Microsoft5Facebook
だが、それらはこの映画の背景では経営はできていないはず。
それで権力だけが残っている。この映画で言うところの権力とは何か?

映画では山岳風景も砂漠もすべて自然は変わらない。インディアンのいたころと
アメリカの歴代政府と移民政策による人種のるつぼと化したアメリカも
おなじ自然のもと、そこの上で違う文化が営まれていたというだけ。
そしてこのときも
自然は黙ってたたずんでいる。
その中で今回の逃避行も行われているだけ。
自然を変えることはできない。
そして人間同士の落としどころへとエンディングは向かう。
もしかしたら
インディアン、少数民族がメインだったかもしれない。

ということで
すこし批判的な映画かね。という印象です。
最後の歌、この映画の登場人物の歌なんですが
ダサい。ストーンズとデビットボウイ足して割ったような
ありきたりの歌でした。思わず調べてしまったよ。
こういうコピーもどきはダメだよ、と思ったんで。
うーん、この歌がいけませんでしたねえ。私的には。
アメリカもかなりコピー文化なんだなあ。そういえば
いつのころからか
TOP40どうでもよくなったからねえ
ここまで書くとファンからクレーム来るかなあ、ジャケットなんかも
ピストルズぽいしねえ。何も言えねえ。

新宿まで来たんだよねえ。仕事のついでだけど