「本」というのは「本屋」の存在が不可欠では?

「本」というのは「本屋」の存在が不可欠では?
最近、Amazonによって
アメリカで衣料品小売がかなりのダメージというのを聞く。
そして日本では
ユニクロAmazonの勝負は始まろうとしている。
こんなことはどうでもよい。
書籍はとっくに淘汰されているのが現状でしょう。
しかし
「本」というものは「本屋」があって、目で見て初めて
「本」になるのかもしれない。もし究極的に
本屋がなくなって、街中で「本」を目にしなくなったとしたら
本で伝えようとする情報が電子化されたということで
本の必要性はなくなるのではないだろうか?
電子化と内容はイコールだが、実態としての「本」が
ある限り、Amazonも本を売ることができると思う。
電子化形態がAmazonの目指すところではないと思うんですよ。
すべてが電子化された時、Amazonでさえ、利益をあげることが難しくなるのではないでしょうか。
もう、ショールームと化しているかもしれない街中の本屋の存在は
すごく貴重だと思う。
人類が本を手放すかどうか、は
本屋にかかっていると思う。

昔、貴族に情報が集中していたが、そのようなケースは
電子化のほうが簡単に行われている。
例えば
Googleの個人ファイルなんかは
その典型例でしょう。
それはAppleのsiriにおけるファイルもしかりです。
彼らがスマホなどの端末から集められたデータは、すごく貴重だと思いますよ。
それを握っているのは
昔の貴族と同じなんでしょうねえ。それで日本企業って
そのようなビックデータ集められる企業ないでしょう?
話がそれたので、また今度。