マリインスキーバレエ「ロミオとジュリエット」AT 東京文化会館

マリインスキーバレエ「ロミオとジュリエット」AT 東京文化会館
公式サイトはここ
http://www.japanarts.co.jp/mb2015/rj.html
キャスト表はここ
http://www.japanarts.co.jp/blog/blog.php?id=1680

マカロワさんがゲストで最後のスピーチがあったのが印象に残りました。
公演は舞踊監督のファテーエフの紹介で始まりました。今回はこのパターンが多い。
そして客席で一緒に観覧してくれたのです。
ですから、バレエ団気合が入ったかな。
まあいつも通りですけどね。
しかし何回観ても
第3幕の音楽の語りはいいなあ。
あそこって
ロミオとジュリエット」のツボのシーンだと思うんですが
そこを丁寧に、いろいろなことを思い出させてくれながら
音楽が鳴っている気がしてならない。
実際ほかの振付師だともっとドラマティックに持って行くのかもしれない。
しかし
このラブロフスキーの振り付けは
すごく余韻が残る。

ロミオとジュリエット
二人の逃避行がうまく行きかけているところがポイントですよね。
それのどんでん返し。
どんでん返しには
前振りが十分必要だと思うんです。

初めて見た人でも
わかるくらい、なんでなのかな?と思う余地を埋める時間が必要だと思うんです。

なんでかなと思うということは、ジュリエットの死、それと
ロミオが聞き逃してしまうこと。
この二つが
どうも
最後にかけてこの演目の悲劇性を増すと思うんです。
それに向けて
プロコフィエフは音楽をつけている。この音楽の効果がすごく重要だと思うのです。
それがうまくいかされている第3幕だと思います。
考えてみれば
この物語は
「一目ぼれ」「運命の出会い」がポイント。
それが両家の立場でダメになってしまう。そこでメロドラマは悲劇になるのです。
しかし裏技がある。

ここまではメロドラマの王道。ですから両家の対立を表現する音楽、踊りは当然入り
そこはダイナミックに作ることはできます。
メロドラマ性は
主役の二人。ここも音楽と踊りの見せ所。
しかし、王道メロドラマの変化形
第3幕に出ます。
いわゆる
だましの効果。
ここでもロミオとジュリエットは幸せになりそこなう。
そんな、一段引いたところがすごく重要だと思ったのです。
逆に言うと
物語をわかりすぎて、逆に簡単にわかったふりができてしまう演目なんだと思いました。
またこのロミオとジュリエット
バレエではプロコフィエフの音楽
映画ではニーノロータの音楽が
かなり新規の作品を作るには障壁になっていると思う。
バレエでは振付を変えればよいのかもしれないけど
音楽自体も新しくしないと、もしかしてこの物語の再構築は難しいのかもしれないと思いました。
はい、最終的には
音楽が素晴らしすぎて
音楽が作られた主題から振付が離れることができないのかもしれないと
今回初めて思いました。

今までは、単に、音楽と振り付けを楽しんで
今月のようにクランコの振り付けとラブロフスキーの振り付けの比較は楽しめる。
しかし、プロコフィエフの音楽にはタイトルと場面が振り分けられているのです。
そこをどうするか、なのかな。それをいじると
音楽を変える必要もあるのかな?とさえ思いました


そのくらいに、物語はいくらでも切り口を変えることはできる
しかしプロコフィエフの音楽は与えられた音楽は2時間余り。
そこに意味を集約しているのです。
その壁はとてつもなく大きく、
依頼したマリインスキー(キーロフバレエ団)はこの条件を決定することができたのです。
この意味でこの振り付けを越えてこの音楽を使うのは
ギャンブルなんだなあ、と思いました。
何が言いたいかというと
何か、音楽に騙されている気がしてきたということ。
もっと違うまとめ方は可能なのにそれをさせない力を音楽に感じるということです。

まあ名曲だということですけど。。。。

ダンサーはそれなりにこなしておりました。
ジュリエットは黒髪なので本来的には
昨日のテリョ
本日のシャプランは本来的に適しているんですけどね。さらにバージニティ付与するならば本日のシャプラン。
ロミオとジュリエットはシュトットガルドでも思いましたが
若さが一番ですね。
まあラブロフスキー版は第3幕が踊りが多いのでそれだけではないですけど。
この版で一番きついのはマキューシオかな。その次はジュリエット