カンパニー マリー・シュイナール AT KAAT

カンパニー マリー・シュイナール AT KAAT

Marie Chouinard
公式サイトはここ
http://www.mariechouinard.com/2015-507.html
日本公演は
ほかに高知と金沢みたいです。
劇場サイトはここ
http://www.kaat.jp/d/cmc

春の祭典
公式サイトはここ
http://www.mariechouinard.com/le-sacre-du-printemps-111.html

まず、ストラヴィンスキーのバレエリュスへの曲の提供の時の
発想に縛られていると意味が分からなくなります。
特に後半「いけにえ」になるのはあの人かと思っていると
男に変わったりして
自分の中でうまく咀嚼できませんでした。
まあ途中、
使う音楽を「春の祭典」にしただけで
別の隠喩があるんだろうと思いました。

異教、大地、いけにえ
これらのワードとは別のところに
この舞台のダンスは存在しているように思います。
では、どこに?
これが今一つ把握できなかった。
途中出てきた「イガイガをまとったコスチューム」も
もしかして春の息吹のなか芽吹いたものかもしれない。
いや、
「春」という言葉にとらわれすぎているのかもしれない。
単に、ストラヴィンスキーのこの不協和なる曲を使いたかっただけならば?
そうなると
印象は変わる。

この時点で感じるのは
ダンサーの若さがこの壮大なる曲の中で
花開き、表現されたという感じでもいいのかもしれない。
まあ
感想からすると
上記のようにかなりぶれた結果、このあたりに落としどころを見つけるしかないのかなあと思います。

あと、ダンサーの上半身裸は見慣れてくると
飽きてくるというか、
見ても何も感じなくなっておりました。

男と女のダンサーの差さえ感じなくなった。案外、この音楽の中で
バストを男女ともあらわにして、差がないということを、
その先には、ダンスの表現は男女の性別をも超える不変のものであるといっているとしたら
すごいものですけどねえ。

 

「アンリ・ミショーのムーヴマン」
公式サイトはここ
http://www.mariechouinard.com/henri-michaux-351.html

これは、意外と受け入れられました。
あとから、舞台中話された言葉の和訳がプログラムの中についていて
読んでみると、もう少し深かったのですが、
ダンスありき、か、言葉ありきか、どちらでもよいのですが
象形文字とダンスが一体化されて
後ろにまとまり、それが辞書化されていくのです。
そうすると
ダンスの言葉が生まれるきっかけになると思うのです。
その誕生の過程を示してくれていたのではないかと思っておりました。

また、この象形文字とダンスが一体となりつつ
かつ声も発する。そうなると会話に成り立ち、
知識の蓄積も可能となる。
その学習の結果、最後のフラッシュの中での
言葉はむき出しに提示されるというように感じました。
あのフラッシュって
人間の神経の中のシナプス的な意味ですよねえ?
違うかなあ?
そんなわけで
ここでは全裸だと思ったけど、
「ハルサイ」と同じで上半身ヌードなんでしょう。
まあ、そこはどうでもよく、
学習の結果、
各自が自ら表現できる言葉を見つけた瞬間かな、と思った次第です。
意外と
気になる、舞台で大変興味深いものでした。

しかし、和訳読むと違うみたい。汗
まあここで感想というか感じたことを和訳読んで変えるというのも
意味ないですからねえ。
はい,以上です。