ドン・キホーテの面白さ

ドン・キホーテの面白さ
バレエ版に限っての個人的な意見です。
バレエに限らず、「ドン・キホーテ」を作品にしたのは
オーストリアとかイタリア、フランスの作曲家が多いというのは
なんでだろう?
バレエ版はミンクス。東欧系のオーストリーハンガリー帝国の出身です。
ロシアでのバレエの作品において名声が高くなっているのは
バレエの作品が良いからでしょう。また
音楽がバレエを盛り上げるのも一因なんでしょう。
しかし
セルバンテス、ないしスペイン人がイメージする「ドン・キホーテ」の音楽は
たぶん違うんでしょう。こてこてのギターの曲が流れてきそうな感じがします。
また
バレエは「ドン・キホーテ」と言っても
一部抜粋で
それも勝手にキトリとバジルの結婚をメインに、文学作品「ドン・キホーテ」の趣旨からすると
とてつもなく抜粋された愛の物語になっております。
しかしこれが受けている。
いや、音楽にスペイン性、物語にオリジナル性がないのに
なぜか世界が許容している。不思議な作品だと思います。
たとえば
シェイクスピアはオペラにしてもバレエにしてもある程度オリジナルを重視して作られております。
まあ、シェイクスピアに関しても、イギリスの作曲家ではない点は同じですけど、
シェイクスピアの音楽と言うとパーセルとか、デビットリンリ―ジュニアなんかがどうしても頭をよぎります。
しかし
ロミオとジュリエットのオペラはグノー、バレエはプロコフィエフと言うように
英国性は関係なく作られて受容されている。原作が良いから、原作の「戯曲」という範疇を超えて
創作意欲を高められる作品と言うべきでしょうか。
ドン・キホーテ」に戻ってみると
たぶん、スペイン、ないしは登場人物への憧れみたいなものが
創作意欲に出ているのではないかと思います。それは振り付けにも感じられるし、
ミンクスの元の曲自体にも感じられます。そして最終的に「ドン・キホーテ」のエッセンスとして
バレエの全幕を見たものには物語「ドン・キホーテ」すべてを感じ取らせることができる
内容に仕上がっているのでしょう。逆に言うと、そのように作るという意欲を沸かせる
チャレンジな作品なんだと思います。
この手法って
ほかの名作でも十分に使えそうなんですが
ロマン派の過程を超えてワーグナーマーラー以降の作曲家は
これに応える作品を作ることができないのでしょう。(テンペストとかタイタス・アンドロニカスとか面白そう)
バレエのコンテンポラリー作品もこの辺のロマン派の頂点の作曲家たちの曲にあとから振り付けをしたものが多いと思います。

この一部抜粋で全幕もののバレエにしたという大胆な発想が「ドン・キホーテ」らしいという
うまい、落ちをもたらすという効果は創作関係者に共通の認識だった気がしてなりません。

以上、バレエを見に行って、「ドン・キホーテ」の説明を求められたときに考えたことです。
「なんで関係ない、キトリとか出てくるの?」って誰でも聞かれたことありますよね。