ロイヤル・バーミンガム「白鳥の湖」  AT 東京文化会館

ロイヤル・バーミンガム白鳥の湖」  AT 東京文化会館
公式サイトはここ
http://www.nbs.or.jp/stages/1504_BRB/swan.html
主役けがのため降板
http://www.nbs.or.jp/blog/news/contents/topmenu/-427.html#002141?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter
逆に、初日は貴重な公演だったかもしれません。
バレエに怪我はつきもの、早く治ってほしいとしか言いようがありません。
キャスト表
http://www.nbs.or.jp/blog/news/contents/cast-and-program/post-540.html
この二人の組み合わせは初めてらしいです。
まあバレエ団が異なってしまうと
いろいろな縁がないと意外と踊らないものですからね。意外と貴重なペアリングだったりして。

結果は、丁寧な踊りをしたな、ということです。
登場の前後はより丁寧でしたが、場が進むにつれて
緊張がほぐれたのか、解放された感じはしました。しかし小さくまとめたな、というのが私の感想です。
その程度。
マシュー・ゴールディングは王子キャラ全開です。しかしベンノは邪魔しているかのごとく
目立ちすぎ。それは振り付けのところで触れましょう。

あとはバレエ団自体では
衣装がきれいだな、と思った程度でした。まあ、コールドはどこのバレエ団でもできるだろうと思うし
この振り付け(ライト版)ということが、このバレエ団の個性なんでしょう。

それよりも
オーケストラにあのテンポで、あの管弦と木管のかぶり方を指示したのか?と思うほどに
演奏が突出して
個性的でした。快演と言ってもいいかもしれない。(ただし、狙ったのか、オケめちゃくちゃになる寸前だったのかわかりません)
しかし、このような演奏はめったに巡り合わないとは感じました。

そして、今回明確に感じたのですが
踊り、オデットの日本人キャスト(東洋人でもいい)、オケの音すべてにおいて

「白鳥」は音楽ゆえに人気の演目だと思うのですが、振り付け自体も
人気の要因なんだと思うといいうこと。だから観客を夢見て帰さなければならない。
今回は4幕のエンディングにそれがありました。
しかし
ここで重要なのは
たとえ欧州でもそう簡単に触れてはいけないという
何か特別感を、「白鳥」に感じたということです。
そう
ロシア人にのみ許された演目という感じでしょうか。ここまで言うと言いすぎですが
簡単にわかりやすく言うとこういう表現なのです。
たまたまこの数年「白鳥」はマリインスキー、ボリショイ、ミハイロフスキー、あとはアジアの
新国立劇場でしか観ていない影響もあるかと思いますが、舞台の景色が
違った。幕が開いたときに受けるオーラが違うのです。まあ新国立劇場に近い感じです。
極論ですが
まさにこの結論です。

さてと、ピーター・ライト版は最後4幕は秀逸ですねえ。あそこの前に休憩を入れる意味がわかりました。
じっくりと余韻まで味わいたいですよね。そのためにはオディールの流れを切らなければならない。ゆえに休憩。
あと、
バーミンガム・バレエ団は確かにロイヤルみたいに芝居的な感じ、テイストは強く感じたのでストーリーテリング重視は
あるのだと思います。
しかし3幕までの流れと
キャラダンの振り付け、オディールの位置づけなどにおいて私はピーター・ライトのこの振り付けは好きではありません。
たかだか私のような一個人の口に合わないというだけで
世間的には長い年月残っている振り付けは一定の評価をされているのだと思います。

なんか自分でも尻つぼみだなと感じたのですけど
こんな印象で感想とするかな。
要約すると2点
「白鳥」はロシアのバレエ団に許された演目のような気がしたということ(極論です。なにか舞台上の華やかさを感じなかったのでしょう、舞台の上の美しさとも言っていいと思う)

ピーター・ライト版は積極的に観たいとは思わないという点でしょう。
最後にベンノの役割についてとか書こうと思ったけど
もっと王子の尻を叩いてよと思った程度かな。ダンサーはおいしい役ですね。
あと、
オディールの誘惑はあれでよいのか?とか言いたいことはたくさんありますが
まあ口に合わなかったbという感じが一番わかりやすいですね。

やはり英国はシェイクスピアで行きましょう。
「白鳥」は人気演目であると同時に「夢見る夢子」ダンサーのあこがれの演目なんだと思った。
平田さん頑張った。もっと堂々と自分の間合いで踊った方が良いと思います。
途中、飽きた感じしたからなあ。