ウフィツィ美術館展 AT 東京都美術館

ウフィツィ美術館展 AT 東京都美術館
公式サイトはここ
http://www.uffizi2014.com/
ボリショイのマチネの後
やっと寄ることができました。前売り券はかなり前に買っていたのですが
ボリショイの時に行こうと思っていたので遅くなりました。
印象は
収集家のコレクションとなると
一定の尺度で収められているなという印象でした。
良くも悪しくも一定基準のものがありました。
ちょうど雨が降る師走の
夕方でしたので、かなり余裕を持って作品にあたることができました。
当然、ルネッサンス期の背景の手法ですので、ボリショイバレエのように奥行きのある舞台を見た後では
平面的に感じました。
なんというか、合わせたものが悪かったか?という印象ですね。
しばらく違和感があったのですが
背景は重視せず、まったく主題とかけ離れたものもあり、というのを思い出してからは
筆の使い方などを見る余裕ができました。
あの絵具、あの状態で数百年保存されていたのでしょうか?
あまり解説を聞いていなかったのですが、それには驚きました。すごい迫力の色合いです。
それだけは迫ってきました。
それだけというと失礼ですが、最後まで先ほどの背景の違和感には慣れなかった。
また赤ん坊の視線のそれ方や、笑顔のなさは何に起因するのだろうか?
すでにすべてを悟ったかのような顔とマリアの冷めた目つきが終始気になりました。
あと、イエスがどの絵に置いても意外とメタボ。
赤ん坊とイエスの体格がまるで同じかのようでした。さらには赤ん坊のヨハネ
違和感だらけの体験をしまくり
すごく微妙な雰囲気に浸りました。
この辺はキリスト教のこの時代における位置づけ(何を重視して、何を排除しているのかなど)
を知らないとダメだなと思いました。
逆に言うとこのことを知っている人間が確認のために見に来る美術展なんだ、と思いました。
私は「ボッティチェリ作品」を期待していたミーハーちゃんです。
しかし「パラスとケンタウロス」だけは貴重に拝み、その雰囲気は掴んできたつもりです。

最後に文化会館に戻ると
待っていたかのごとく
ニクーリナが出てきてくれて、サインをもらうことができました。このことが大変うれしかった。

おちまでボリショイです。リアルな人間はなんと美しいのでしょう。
そう、いま生きている時代は
生きてこそ味わえる喜びの時代なんだ。楽しもう、と思った次第でした。
サイン会をぶっちぎった私のために出てきてくれた感じさえしましたよ。
前回、ニクーリナ東京で主役なかったのでサインなかったんです。
別にサインマニアではなく
今のボリショイでは
ザハロワと、ルンキナとニクーリナのサインがほしいのです。ザハロワは無理として
前回ルンキナ、今回はニクーリナに焦点を合わせた買い方をしましたからね。

いつのまにか美術展から離れている。
いや、念じれば通じるということを、ウフィツィ美術館展の絵画は教えてくれたということでお後がよろしいのではないでしょうか?
笑い(考えられないことなんですよ、サイン会終わったあと、しばらくして、また出てきてくれる、そのタイミングで戻るなんて、うん、気持ちが通じたとしか思えない、
奇跡だ。冗談ですよ)