グリゴローヴィッチ版「白鳥の湖」について感じたこと。

グリゴローヴィッチ版「白鳥の湖」について感じたこと。
何回見たでしょうか?今まで感じなかったことを今回感じたもので少し考えをまとめてみました。

すごくテンポがよく踊りを堪能できるという点で
完全なる、「踊り」重視だと思うんですが、
いくつか今回気になった点を考えました。
まずはキャラクターダンスの位置づけ。
これは踊りの展示場という感じでしょうか。
なんというか、宮殿に
お祝いに来たという感じではないのです。
単にそのシーンの羅列にすぎない。オディールに夢中な(はじめはオデットを夢想していたんでしょうけど)
王子にはその華やかさと音楽の美しさは感じられていない、背景のような感じさえします。さらに、
常に、感じるのですが、彼の「白鳥の湖」は
宮殿での祝祭という感じをほとんど受けないのです。
これは2001年あたりに変えたものなので
ソビエトの影響はないと思うんですが。不思議です。
ただ、王子は主役かというと
愛を見つけた腑抜け、みたいな位置づけだと思うのです。
あくまで、彼(グリゴローヴィッチ)の重点は「踊り」を見せることだと思うんです。
主役としてのオデットは彼を許す。しかしロットバルトにそれは否定される。
このロットバルトは
オディールを操り、王子をはめ込み、
そしてオデットと王子の愛を封じ込める。
愛は成就しません。しかしオデットは純愛。
しかし、
感想で書いたように
昔あるところ(ドイツのある公国、あるいは単に愛の物語として考えると王子の教訓的になるかもしれない)
の愛の物語、として捉えると
愛があり、それを夢の中で体験した王子の
悪夢として考えるとわかりやすいと思います。
すべては夢の中。
それははじめ
ロットバルトの登場に示唆されると思うのです。
これから悪夢を示す。あいるは道にそれることを示す。甘い誘惑。
不倫のきっかけなど。
しかしそれは甘い蜜を内包した悪夢なんだよ。体験したまえ、
この甘い蜜を。
そして現実に戻りたまえ。

さてとこの現実とは?
友人たちと楽しく領民と楽しく茶会(第一幕1場)などをやっていて
国を継ぐ皇位継承の立場を思い出しなさい。
そして、君は優秀なる民の愛を裏切ったのだ、
行きつくところはその責任だ。
このあと、国が滅びることはない。しかし彼が幸せな結婚をしたと思えない、
という落としどころでしょうか。
不貞にはその責任を。当たり前です。

さてと、ここで戻って、夢の中の悪夢なのか?
現実なのか?その先の展開はもちろん変わります。
ロットバルトが夢先案内人かどうか?
各自の判断はいかに。

最後にオディールとの愛に落ちながら
オデットが許して愛の成就より
現代的かと。
今すぐに不倫、離婚の世の中ですから。
はい、
以上、こんな感じでまとめてみました。