新国立劇場バレエ団とボリショイバレエ団

新国立劇場バレエ団とボリショイバレエ団
ちょうど比較ができて面白いと思います。
そのくらい、新国立劇場バレエ団はレベルが上がっていると思います。
比較はボリショイでなくても来日系バレエ団でもよいと思います。
何が違うか?
すべては
幕が上がったときの
パッと見の華やかさの違いということに尽きる。
個別のテクニックは特に女子のダンサーに置いては
それほど違いがなくなってきているなあ、というのは感じます。
もちろん、人種的に個別の身体的パーツのハンディは感じます。
しかし、良く見ていると
どちらが真剣に踊っているのか?という観点で見ると
私個人的には新国立劇場バレエ団の方に軍配が上がるよう化忌がします。
ビントレー監督の期間中、本当に進歩したし、振り付け(dance to the future)
などを含めて自己表現が豊かになってきていると思う。
対して、
ボリショイやマリインスキーはバレエがロシアでチャイコフスキー、プティバなどのもと開花した時の
本家としてのプライドを持って踊っているような気がする。
今回はボリショイバレエなのでボリショイに特化して考えてみると
「譲れない何か」を表現させることを至上命題に掲げてそれを満たさなければ、舞台に出れない、というものは感じられます。
ですから個別の演技に興味がわくし、層が厚いので(実際、モスクワで、プリンシパルでの並行公演「ジゼル」を成立させている)
とびぬけたものは感じます。
あと、初日(東京)で感じたのは
コールドの乱れなどよりも流れを重視して、バレエにおける、ぐいぐいと進行する流れは確実に切らないで成立させるという
強い意思を感じました。
バレエというのはこの流れが大事なんだ、と気づかされた瞬間です。
音楽芋流れる、物語のシーンも流れる、その中で踊りだけは
どんなことがあっても流れを切ってはならない、それは致命的、と教えられました。
これは実はすごく大きなことで中だるみがないのです。
特にボリショイ、グリゴロ版は、流れが早い。あっという間に終わるけど、
そこに今、何かがあったよね、物語が進行していたよね?という
あの世とこの世を結ぶような「能」の空間のようなものさえ出来上がるような感じです。
このあっとはじまって
あっという間に消えていく美しさを今回はすごく感じます。
まとまりが悪いかもしれませんが
新国立劇場バレエ団は比較の基準として位置づけられるほどにまで成長した。
そして本家は、その先にある、バレエのはかなさゆえの美しさを感じさせてくれるものということができるように思いました。
終わったあとに、あれ、終わった?もっと見たいという飢餓感がわいてきます。そう思わせたら勝ちだよね。
個人的な感想です。また、間の抜けた比較感想を書いたかもしれません。